ふんすふんす、と弥世は鼻息荒くしていた。それを見ながら、敬司はどうせ無理やろ、と思っていた。
ことの発端はテレビのラテ欄だった。敬司は複数の新聞を取っている。大手の新聞社のものから経済専門誌、英字新聞など。敬司が一通り目を通している間に、弥世は大手の新聞を見るのだ。見る、と言っても社会情勢に疎い弥世は、一面記事をふんふん、と言いながら読んで、天気予報とラテ欄を見ているのだが。それでも最近は他の記事も読むようになってきたので、敬司は成長しとるな、と感心している。
弥世は金曜日の映画放送が好きである。映画館で見る映画ももちろん好きだが、テレビ局が選んだみんなが好きな映画、というものを見ることがそもそも好きなのもある。
元々弥世はテレビを見るような家庭ではなかった。
テレビをつけようものなら、タイミング次第では母親が連れ込んできた男たちから、暴力や罵詈雑言が飛んでくることがあった。だから弥世はテレビを積極的に見ることはなかったのだが、敬司に拾われてからは、彼から知識を得る一つの手段としてみるように言われたのだ。
最初は何が面白いのだ、と弥世は思っていたが、敬司の選ぶニュース番組やニュース解説、料理番組などを見ているうちに、すっかり弥世はテレビっ子になっていた。アニメなどは好んで見ることはないが、公共放送の教育番組はよく見ている。
そんな弥世が毎週金曜日の二十一時からの映画番組に食いついたのは、理由があった。封切りされた当初、敬司の直属の部下である五人のうち、椎名亜紀と見に行こうと約束していたものだったからだ。亜紀が幼いころに見た映画の続編らしく、ふたりで亜紀の家(同じマンションの同フロアにある)で前作を見て感動したのだ。
続編が楽しみでしょうがなかった弥世だったが、亜紀と見に行こうと約束した日に熱を出してしまい、しかもそれが運悪くインフルエンザだったものだから、しばらく自宅療養していたのだ。
運の悪いことに、熱が下がりきるまでに時間がかかり、さらに二日間も出られなかった。その間に見たかった映画は終わっていたのだ。
無念で敬司にぽかぽかたたいたりしていたが、かといって配信で見るのは違うという弥世の気持ちもあり、そんなこんなで見たかったのに見られなかった映画だったのだ。それが今日放送されるので、楽しみでしょうがない。
普段なら二十一時ごろから眠い、と言い出す健康優良児・弥世が、寝る時間から一時間半の映画を見られるのか、と敬司は首をかしげていた。しかし、弥世はすでに策を練っていたのだ。
「……で、とっておきがそれかい」
「そー! これね、牛乳で割るだけでカフェの味なんだって!」
「ほーん。焦がしキャラメルラテ、ねえ……」
「カフェインレスのもあったんだけど、カフェインレスって眠くなっちゃうんでしょ? みよ、まちがえずに買ったんだよ〜」
カフェインが目を覚ますんだって、くろせがいってた!
ふんす! と、胸を張った弥世に、そーやな、と敬司は適当な返事を返す。敬司が適当な返事をしたのももっともである。パッケージには「五倍希釈」と書かれている件の濃縮コーヒーに、弥世は明らかにたっぷりの牛乳を入れていたからだ。どう見ても五倍希釈ではない。八倍くらい牛乳入れとらんか、と敬司は突っ込みたかった。カフェインレスではなくても、牛乳をたくさん注いだら余り意味がないのではないか、と。
そもそも、牛乳はカフェインの吸収を穏やかにする。最終的に目が覚めることには変わりないし、カフェインの吸収量も同じだが、覚醒効果を発揮させるまでにタイムラグが出てくる。
ゆえに敬司は夕飯のときに飲ませるべきだった、と思う。できれば夕飯前、せめて風呂に入る前に飲ませておけば、多少なり効果が出始めていただろう。しかし残念かな、もう風呂に入ってしまったあとで、番組が始まる十五分前だ。
「あ! 終わったらすぐ寝られるようにしよ! みよ、はみがきしてくる」
「おん? もう飲んだんか」
「飲んだ! おいしかった〜。けーじも飲む? 牛乳の量へらしたら、苦くなってけーじも飲めるとおもう!」
「おん、ほな、いただこかな」
「どーぞ!」
かんせつちゅーしよ〜!
そう言って敬司に空っぽのマグを渡した弥世は、パタパタとスリッパを鳴らして洗面所に向かう。ご機嫌そうに鼻歌を歌いながら向かっていったので、相当寝ないつもりだな、と敬司は思わず喉を鳴らして笑ってしまう。
開封されたプラスチックの容器を冷蔵庫から取り出し、容器に書かれたメモリで二杯分をマグにいれて、牛乳を少し入れる。少し入れる、というより、少ししか残っていなかった、というべきかもしれない。一〇〇ml程度しかなかった。
「どんだけ牛乳足したんや、あいつ……」
歯ァ磨いたら寝るやろ、これだと。敬司は思わず苦笑してしまう。人間、いつものルーティンとは恐ろしいものである。歯磨きをして寝るのが習慣づいていると、歯を磨いたあとは眠くなるのだ。ましてや、カフェインの効果を牛乳によって遅延させているのだから、覚醒効果を期待できるはずもない。
敬司はソファーに座って、濃いめの焦がしキャラメルラテを飲む。確かに焦がしたキャラメルの香りがするコーヒーだ。敬司は甘いものが好きではないため、こういったラテを飲むことはあまりないが、自分で濃度を調整できるなら楽しめそうだ。そんなことを敬司が思っていると、ぱたんぱたんとゆっくり間延びした足音が聞こえてくる。
眠そうな足音やな、と敬司が思っていると、案の定眠そうな弥世がリビングに戻ってくる。ふわあ、と大きなあくびをして、さらに大きな目がほとんど閉じている。頑張って起きようとして、目元をうにうに触っているが、まぶたはもう引っ付いて開きそうにない。
「弥世。このあと金ローみるんやろ?」
「みるぅ……」
「カフェラテ飲んだやろ。ほら、まあ直に目ぇ覚めるやろ。座っとき」
「ん〜……」
ふにゃふにゃしたままソファーに座った弥世は、そのままこてん、と敬司にもたれかかる。数回うっすら彼女の目が開いたかと思ったが、すぐに閉じてしまう。
すやすや、と気持ちよさそうに寝息を立て始めた弥世に、せやろな、と思いながら敬司は近くにあったブランケットを引き寄せて、彼女の薄い肩に引っ掛けてやった。