【神鳥邸の午睡】暑くなりはじめたある朝の話

 空気が乾燥しているが、差し込む日差しばかりが強烈だ。暦の上ではそろそろ梅雨の季節だというのに、調子外れな気温の高さだ。真夏のような気温を何度も出しては、春相応の気温にまで下がる。
 それを繰り返されては、さすがの仁科も気が悪い。暑さに身体を慣らすまでの時間もなく、気温が急に上がっては仁科であったとしても調子を崩しそうになる。今まで熱一つ出したことはないが。
 仁科ですら調子を崩しそうな気温の高低差に、もっと調子を崩したのが美鶴だ。

 元々美鶴は病弱な体質だ。持病とまでは言わないが、体温調節も苦手な体質である。寒暖差が激しくなればなるだけ、苦手な体温調節が必要になる。それによってただでさえない体力がさらになくなる、という悪循環だ。
 二日ほど前に熱をあげそうな予兆を感じ取った仁科は、即座に神鳥家の次兄である陽雅(はるまさ)に連絡をした。生命防衛統括監という、やたらと仰々しい役職名をもつ陽雅は、いわば神鳥家の生体保全・救護技術最高責任者だ。
 底抜けに明るくおしゃべりで感情豊かで、お調子者の様子を見せる陽雅だが、誰よりも医療に詳しく、新たな技術を生み出したりする天才だ。そして美鶴を溺愛してやまない、彼女の十六歳年上の兄である。

 この寒暖差じゃ、みぃちゃん熱出すよね〜! だと思って、お兄様は準備済み〜!

 そんなおどけた様子で、仁科の報告を受けた陽雅は、いつもの解熱剤などを仁科に渡しつつ、熱を出す前に飲ませてね、とハーブティーのパックも渡してきた。ほかにも熱が出たときに飲ませる水に混ぜる栄養剤なども渡してきた。
 美鶴と仁科の住む桜崎グランフォレストタワーの、事前予約制のゲストルームも数日間利用できるように手配済みで、美鶴が熱を出したら即座に行動できるようにしていた。

 その日の晩に熱を出した美鶴は、素早くも手厚い看病のおかげで二日ほどで元気になったのだ。美鶴本人は申し訳なさそうにしていたが、彼女の体質のことは皆重々分かっているので負担ではない。
 まだ居座ろうとする陽雅と、陽雅にくっついてきた湊雅(陽雅の一卵性双生児の弟で、コピーアンドペーストしたように外見が同一で、声もほとんど同じという人物だ。彼は【情報防衛統括監】という役職を持ち、電子安全保障・暗号戦略責任者である。本人いわく、みぃちゃんもお兄ちゃん二人いたほうが心強いよね、ということだが、単純に陽雅だけずるいという気持ちで来たのだろうな、と仁科は理解している)の双子の兄を、もう元気になったから、と美鶴が追い返し、見るからにしょぼくれた兄たちを見送ったのがつい先程だ。
 珍しく強気で追い返したな、と仁科が思っていると、そわそわした様子で、美鶴はソファーに腰を下ろしたまま、隣りに座る仁科を見上げる。

「貴臣さん、やっとお兄様たち、帰りましたね」
「そうですね。……美鶴様、ずいぶん強気で追い返されましたね」
「え? えへへ……だって……」

 きょとん、としてから美鶴は恥ずかしそうに微笑む。両手によく冷やしたレモンシロップを使ったレモネードか入ったグラスを持って、彼女は口を開く。

「だって、ここは貴臣さんとのおうちだから……」

 だから、お兄様たちには申し訳ないけど……
 てれてれ、と恥ずかしそうにはにかみながらもごもごと呟く美鶴に、仁科は頭を金槌で殴られたような衝撃を覚える。かわいい生き物がここにいる。思わず舌先まで出かかった言葉を冷やしたほうじ茶で押し戻しながら、仁科はなんでもなかったかのように、そうですか、と返事をする。
 仁科からすれば、美鶴は妻である前に守るべき大切な存在だ。美鶴が微笑んで、幸せに過ごせることが仁科貴臣の存在価値であり、生命の定義だと思っている節すらある。だからこそ、この桜崎グランフォレストタワーの2704号室は仁科と美鶴の家、という認識の前に、美鶴が神鳥家の敷地の外において、もっとも安全でなくてはならない場所であると思っていた。
 そんな仁科には、当然ながら家だという認識はなかった。そんなところに、美鶴から家だから、と言われたのだ。それも、貴臣さんとの、という、自分一人の家ではないという接頭語までつけて、だ。思わずほうじ茶を入れた、強化セラミック+炭素繊維強化樹脂コーティングで作られた仁科用の、通常使用どころか武器として利用しても常人に傷一つつけられないマグカップにヒビが入りそうになった。(なおミシッ、という異音に対し、照明器具に内蔵された超高性能集音装置が、仁科がマグカップを破壊しそうだと検知され、素材班への自動連絡が行われた)
 そんなことなどつゆ知らない美鶴は、お兄様たちがいると貴臣さんにキスするのが恥ずかしくて、と頬を赤らめてもう一つ爆弾を放り込むものだから、仁科の鋼鉄の理性はもう一度金槌――どころか電動ハンマーでごりごり解体作業が始まるのであった。

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