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【神鳥邸の午睡】春物を用意する話

 美鶴は新作です、と邸宅内のスタッフから渡された紙袋を開けた。仁科とともに過ごす寝室のベッドの上、冬用のふっくらとした温かな掛け布団には、キメが細かく、滑らかなカバーがかけられている。そのカバーの上に、美鶴は服飾関係部門のスタッフから渡された紙袋の中身を置く。
 袋の中から出てきたのは、どれもくすみカラーの服だった。スモーキーなオリーブグリーンや、明るめでもややくすんだ黄緑などを中心にしているのは、美鶴が緑色が好きだからだろう。差し色で白だったり、ネイビーだったり茶色などもある。初夏の季節でも着ることを意識しているのか、ビタミンカラーのオレンジや黄色も差し色で使われているものがある。
 どれも素敵な服ばかりで、目移りしてしまいそうだ、と美鶴は思う。トレンドも理解しながら、それを取り入れすぎないデザインが多く、一着でも長く着てもらえるように、と丁寧に作られたのが見てわかるものばかりだ。淡いグレーの服を重ね着をしているようにも見えるデザインのレイヤード・ネックの薄黄緑色のワンピースは、きれいなドレープを保ったフィッシュテールだ。ふんわりと空気を含んだメレンゲのような柔らかさのたっぷりのボリュームのギャザースカートは、くすみのある緑から、足先にむかって白色になっている。
 トップスもVネックの半袖は、袖が軽やかなフレアスリーブで、目にも鮮やかな青みがかったエメラルドグリーンだ。ほかに袋に入っていた服も、どれもが美鶴の好きなデザインと色合いだ。春らしい服たちに内心浮かれつつも、いつ頃からこれらの服を着ようか迷ってしまう。もとより体の弱いところがある美鶴は、最高気温が二十度近い気温になっても、曇り空の日は少し肌寒く思うのだ。快晴であれば、多少気温が低くとも、わりと汗ばむことはあるのだけれども、曇り空の日だと同じ気温でも寒く感じるのだから不思議である。
 貴臣さんと相談しながら考えよう、と美鶴は一番近くにいてくれる存在を思い出す。仁科は同棲生活をはじめるまで、わずかな――本当にわずかな衣類しか持っていなかったことも。人間の限界値を超えた先にある肉体であるせいも多分にあるのだが、仁科は専用の素材が出来上がる前も、できあがってからも、数える程度の衣類しか持っていなかった。スーツ上下、インナー上下、トレーニングウェア上下がそれぞれ洗い替え含めて三着ずつ。寝るときに体にかけるための大盤タオルケットが二枚。それだけしかなかった仁科に、一週間分の一般的な私服といわれるデザインの服に、パジャマも増えたのだ。
 貴臣さんの服もこれから増えるんだなあ、と美鶴はにこにこしながら服をしまっていく。渡された服の中でも、特に気に入った七分丈のレイヤード・ネックのワンピースを胸に当てていると、寝室の扉がノックされる。はぁい、と返事をすると仁科がそっと扉をあける。どこまでも静かにあけて、体が通るだけあける。空気の入れ替わりがほとんどないような部屋の入り方をする彼に、普通に入ってきてもいいのに、と美鶴は思う。しかし、きっと仁科にとって空気の入れ替わりがほとんど行われない部屋の入り方が普通なのだろう。それがわかっているから、美鶴もなにもいわないでいる。

「美鶴様、昼食の準備が整いました」
「わ、もうそんな時間だった? 今日はなんのメニュー?」
「鶏そぼろと卵の二色丼と、きゅうりとちくわのおかか和えを。もやしとニラの担々風のゴマ味噌豆乳スープを準備しております」
「おいしそう。ふふ、たのしみ。……あ、ねえ、貴臣さん」
「はい、なんでしょうか」
「あのね、このワンピース、どうかな?」

 とってもかわいいと思うの。
 そう美鶴がレイヤード・ネックのワンピースを体に当ててみせる。七分丈の薄黄緑色のワンピースは、美鶴が体を動かすたびにふわりふわりと軽く動く。空気をゆったりと包んで軽やかに動く服に、仁科はぱちり、と瞬きをする。彼の黄金色の目には、美鶴がにへへ、と恥ずかしそうに微笑みながら、感想を待っている姿が映っている。
 鍛えて膨らんだ筋肉と、それを支える元々太くてしっかりしている骨を持つ仁科の半分ほどしかない、薄くて細い体の美鶴は、とてもバランスよく手足が細く長い。きめ細やかで繊細な肌のために、徹底して紫外線対策をされてきた肌は、踏み荒らされていない新雪のように美しい。はちみつを溶かしたホットミルクのように滑らかな肌と、薄黄緑色のワンピースは相性が実によかった。仁科の頭の中では、春をつれてくる妖精がいるのならば、このような愛らしい見た目をしているのだろう、と思ってしまうぐらいには。
 そんなことなど微塵もその鉄仮面に浮かべない仁科は、ただ一言、似合っています、とだけ返事をする。

「本当?」
「はい、本当です」
「えへへ……よかった。もう少し暖かくなったら、この服を着て貴臣さんとデートがしたいな」
「……! はい、ぜひ」

 美鶴の言葉に、仁科はわずかに目を見開く。穏やかに目を細めた仁科は、小さくうなずく。それに満足した美鶴は、微笑んで体に当てていたワンピースをおろす。ベッドの上に散らばっていた春物の服を一か所に集めて、仁科の腕に寄り添う。

「おなかすいてきちゃった」
「食事の準備はできております。まだ冷めていないと思います」
「ふふ、貴臣さんのごはん、どれもおいしいから好き。太っちゃうかも」
「……失礼ながら、美鶴様はもう少しばかり、食事を召し上がられたほうが良いかと。体を作るのは、食べたものです」
「う、うう……たしかに……そうかも……」

 美鶴は自分の病に弱い体のことを思い出して、思わず仁科から目をそらしてしまう。
 幼いころから量を食べられなかった彼女は、ただでさえ熱を出しやすく、一年のうちぴんぴんと良好な健康体だったのは、それこそ数えるほどしかなかったと思う。体調を崩しやすい彼女のために作られた滋養強壮剤は、幼いころから成人をとうに迎えた今ですら毎日かかさずに朝晩飲んでいる。やわらかく、カモミールのようなやさしい味と、レモンのようなさわやかな香りで、薬らしい味はほとんどないが、飲み干すとのどに少しばかり漢方独特のややスパイスのような味はする。
 ……美鶴とは対照的に、どこまでも健康で、肉体的に頑丈すぎる仁科もまた、並外れて頑丈すぎる肉体や神経が常に問題なくあるために、神鳥家が開発した滋養強壮剤は飲んでいるのだが、これがまた漢方の特有の味に加えて、甘いのに金属の味がして、のどに強烈なえぐみを残すのだが、それはまた別の話である。

「ちょっとずつ食べる量は増えてる……と思うんだけどなぁ」
「ええ、少しずつ増えています。今の調子を維持していきましょう」
「ふふ、無理は禁物、だものね」
「はい。少しずつ許容量を増やす形で参りましょう」

 美鶴は仁科にエスコートされてダイニングチェアーに腰を下ろす。がっちりしたダイニングテーブルの上には、ほこほこと湯気が立つもやしとニラがお行儀よく飾られた担々風のゴマ味噌豆乳スープと、細く刻まれた紅ショウガがちょんと飾られた、鶏そぼろと卵の二色丼がちょこんと並んでいる。きゅうりとちくわのおかか和えも小皿に品よく並んでおり、はやく食べて、と話しかけているように美鶴には見えるのだった。

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