ころっ。
一条警視のポケットから何かが落ちた。いつも羽織っていらっしゃるチャコールグレイのジャケットのポケットから、ハンカチを取り出すときに一緒に落ちたらしい。一条警視はまだ気がついていないから、俺はそっと拾い上げる。汚れやキズがついていないかを確認しようとして、それが見慣れない金属片であると気がついてしまい、思わず目が点になる。
拾い上げたその金属片は、俺の親指の第一関節よりも少し小さいくらいの大きさで、尖っていない三角と三角をくっつけたような、八面体だ。色はギラついたメタル感のあるものではなく、鈍い金色というか——玉ねぎをしっかり火入れをしたときのような色をしている。
触った感触は少しざらついているが、そこまでざらざらしているわけではない。鮫肌というよりは、ケーキの飾り付けのアラザンがところどころにあるような感じだ。
使用用途もよく分からない謎の金属片を、なぜキャリア組きってのエリート街道爆走中の一条修司警視が持ち歩いているのか——俺は首を傾げてしまう。傾げてしまったが、拾った手前、一条警視に声をかける。
「あ、あの、一条警視」
「はい、なんでしょうか」
「こちら……その、落とされたようで……」
「ああ……ありがとうございます。助かりました」
助かりました!?
その金属片、なにか重大な意味が隠されているのか……!?
思わず俺は勘繰ってしまう。公安との秘密の符丁とか、情報端末とか、それとも特殊な妨害電波を発する装置か——色々と想像が駆け回ってしまう。明らかに人工的に作られただろう八面体なのだ。少しのざらつきに加えて、角と言う角が柔らかさを帯びていて、触れても存在感はあれど痛くないのだ。誰かが、何かのために作り出したに違いない。
しかし、それが何かを聞く前に一条警視は別の警部補に呼ばれて去ってしまった。エリート街道爆走中のキャリア組きっての逸材なのだ。超有能な一条警視なので、こんな些細なことを聞くのも少し憚られる。
もしかしたら誰か知っているかもしれない。知っている人に聞いてみたいかも、とか思いながら、買ったばかりのカフェオレのペットボトルを手にデスクに戻ると、たまたま神谷警視がいた。
神谷佑馬警視は一条警視と同期で、一条警視と同じくらい超優秀な人だ。神谷警視が引っ張ってくれる側の上司で、一条警視は後ろから支えてくれる側の上司であるから、俺達若手たちは安心して書類で失敗したり、発破をかけてもらっているわけだ。
そんな神谷警視は、一条警視のことを殊の外気になっているらしい。出世スピードがちょっとだか一条警視のほうが早いとか、一条警視の方が先に上の人に覚えられていたとか、そういう些細なことを気にさせる人だ。だからといって、別に嫌味を言ったりするわけではなくて、なんというか——勝手にライバルを名乗ってるタイプというか。少年漫画でよく見た自称ライバルくん、みたいなところにいる人だ。
神谷警視は神谷警視でいいところたくさんあるんだけどなあ、と思いつつ、俺はすみません、と神谷警視に声をかける。おう、なんだい。そう明るく返事をしてくれた彼に、本当に話しかけやすいなあ、と感動する。人当たりが良い。さわやかな営業マンって感じで、すごいこう、頼れる上司ってこういうことなんだなって思う。コマーシャルの保険営業マンとか、不動産の営業マンとか、そういう感じのシゴデキ営業マンってやつ。
雑談なんですけど、と前置きすると、少しだけだぞ、といいながらも、どんな話だ、と聞く耳があるのを見せてくれる。本当に話しやすいなあ!
「一条警視の……」
「一条が、なんだって」
「は、はい!」
ぎらり、と神谷警視の目が光る。爽やかなシゴデキ営業マンみたいな人が獲物に狙いを定めた目って、めちゃくちゃ怖い! 怖すぎる!
でも一条警視のことに一番詳しいのは神谷警視でもあるので、内心冷や汗ダラダラ流しながら尋ねる。一条警視のジャケットから、親指の第一関節程度の大きさをした八面体の金属が出てきたこと。それがちょっとざらっとしているが、鋭利な部分は全くないこと。拾って渡したら、警視が大切なものとして扱っていたこと。
俺の話を聞いた神谷警視は、ふむ、と少し考える。顎を指先でとんとん、と二回軽くたたいてから、警視はしらないな、と首をひねる。一番一条警視について詳しいだろう人が知らないなら、きっとここで知っている人は誰もいなさそうだ。そのことにちょっとだけしょんぼりしつつも、警視に礼を言う。
「気にするな。まあ、気になるんだったら本人に聞いてみるといい」
「ええっ。で、ですが一条警視ってそんな雑談触れるような……」
「案外、喋るかもしれないだろう。君が第一歩を踏みだしたら、ほかのメンバーもあいつに声をかけるかもしれないぞ?」
「それは……そうかもしれないですけどぉ……」
無感動というか、何を考えているのかよくわからない目をした、表情もほとんど動かない鉄面皮の一条警視に声をかけられねえよ、と思う。でも、俺が声を掛けたら、意外と話しかけてみたかった人がついてくるかも……といわれると、ちょっと今度勇気を出して聞いてみようかな、という気持ちになってくる。つくづく神谷警視は人のやる気を出させるのがうまいひとだ。
その前にこの間の報告書な、と言われて、先日の事件に関する報告書の誤字脱字のことを思い出して、俺は頭を抱えてしまった。
▩▩▩
一条修司は車を自宅の駐車場に停める。若くして——おそろしいほど若い、それこそ高校生の頃から業界で若手の星だとか、期待の新星だとか言われていた妻・命のこともあって、百三十を数える自宅敷地は大型トラックや自動車が複数停められるほどの広さを持っている。十二トントラックを一台と普通乗用車二台までなら同時に収容できる広さの駐車場の、一番建物の玄関に近い駐車場だけは修司の車専用だ。
一見すると三階建てにも見えるチャコールグレーの立方体のような建物は、実際には二階建てである。一階部分が八メートルの天井高であるがゆえに、高く見えるのだ。修司は一階部分の天井まである巨大なシャッターの隣りにある、至って普通の玄関ドアを解錠する。
ドアを開けると巨大な金属のオブジェが出迎えてくれる。昔遊んだ公園に、こういう球体のジャングルジムみたいな遊具があったな。そんなことを修司は思い出す。今朝出勤するときより、一回り大きく成長したオブジェを見ていると、しゅーじ、とちいさな声がかけられる。
声がした方に顔を向けると、そこには年代物の人形のような顔立ちをした女性がいた。アンティークドールさながらの繊細な顔立ち。どこもかしこも華奢で、触れたら壊れてしまいそうな、そんな外見の彼女こそが、修司の妻・命である。作業着と防護装備一式を身に着けていないのは、今日の作業は終えたからだろうか、と修司は思いながら、ただいま帰りました、と彼女と目線を合わせる。
「しゅーじ、かえってきた」
「はい、帰ってきました」
「めい、きょう、むれ」
「群れを作っていたんですか?」
「ん。あと、これ」
彼女が指を指したのは、現在鋭意制作中の球体作品だ。中が見えるように並び替えされて溶接、組み立てられた金属の支柱たち。その中心には植物の種子にも、胎児にも見える黒く染め上げられた楕円のもの。命が『まだない』から作り出したそれは、徐々に完成に向かっているらしい。
きょうのむれ、と言って命が指差したのは工房の一角。くいくい、と命に袖を引っ張られながら修司はついていく。命の代表作シリーズの一つである『群れ』たちが置かれているそこには、新しい仲間が確かに一体増えていた。曲がった配管、溶接された細いパイプや薄い金属板。無機物なのにどこか生命を感じさせるそれを眺めながら、修司は口を開いた。
「かわいいですね」
「めいもそうおもう」